【連載ばぁばみちこコラム】第四十四回 産科医療補償制度(その1)-経済的補償― 広島市民病院 総合周産期母子医療センター 元センター長 林谷 道子

「産科医療補償制度」をご存知ですか?
この制度はお産に関連した出来事で赤ちゃんが重度の脳性麻痺になった場合、家族の経済的負担を速やかに補償するとともに、脳性麻痺となった原因を分析することによって同じような事例が起こるのを防ぐことを目的としています。

産科医療補償制度はどのような経緯でできたのでしょうか?

 お産は病気ではありませんから、赤ちゃんは普通に生まれてくるのが当たり前だと思われがちですが、実際にはお産にはさまざまな危険が伴います。それは、いつ誰に起こるか分かりません。

 お産に関連して起こる重度の脳性麻痺は、新生児仮死によって、十分な酸素が赤ちゃんに供給されないことによっておこります。妊娠中に、胎盤の血液の流れが悪化するような妊娠高血圧症候群や糖尿病などの合併症があれば、ある程度注意をすることもできますが、突然起こる常位胎盤早期剝離や臍帯脱出など、予期できない出来事により赤ちゃんが仮死状態になってしまうこともあり、現実にはすべての新生児の仮死をあらかじめ予測することは不可能であるのが現状です。

 お産に伴う医療事故では、医療者側に過失があったかどうかを判断することが困難なことが多いため、過失の有無が裁判で争われる傾向があります。

 最高裁判所の医事関係訴訟のデータによると、2006年から2017年の医療訴訟で、判決が確定した件数を診療科別にみると、最も多いのは内科2,435件、続いて外科1,698件となっており、産婦人科は第5位となっています。

 

 

 

 

 この医療訴訟件数を医師数あたりで見ると、産婦人科が突出して医療訴訟が多く、2006年、2008年の最高裁判所のデータでは、診療科別の医師1,000人当りあたりの訴訟件数は、2006年、2008年とも産婦人科が突出して多いことが分かります。

 2008年のデータでは、産婦人科の既決件数は、医師1,000人当り、16.8から9.9へと下がったものの、訴訟件数は他の診療科に比べて最も多く、1人当たりの医療訴訟の件数が多いことが分かります。

 

 

 

 

 近年、産婦人科を志す医師が減少し、そのため、お産の扱いを取りやめる医療施設が増え、子どもを安心して産むことができない地域が生じています。

 産婦人科医になりたくない理由として、当直が多く、たくさんの時間を拘束されるなど労働環境の厳しさとともに、紛争による裁判が多いことが要因としてあげられています。1990年以降の医師の総数は年々増加していますが、産婦人科医師の割合は減少しています。また、小児科医もここ数年ほとんど増えていないのが現状です。

 

 

 

 

 このような医療訴訟の増加が一つの要因となっている産科医不足の課題を解決するために、2009年1月1日より公益財団法人日本医療機能評価機構が運営組織となり、我が国で初めての無過失補償制度として産科医療補償制度が設立されました。

産科医療補償制度の目的=家族への補償と原因分析・再発防止

 産科医療保障制度の最終目的は誰もが安心して産科医療を受けられる医療環境の整備です。

 産科医療補償制度は、過失の有無にかかわらず、お産に関連して起こった重度の脳性麻痺の赤ちゃんと家族の経済的負担を速やかに補償することを第一の目的としています。また、脳性麻痺となった原因を分析することによって同様の事例が起こるのを防ぐことを第二の目的としています。

 分析によって得られた情報が家族と医療機関に報告されることになっており、医療訴訟の防止と早期解決が期待されるとともに、産科医療の質の向上を図ることができます。また、集まった同じような事例を分析し、リフレットやポスターなどによって、広く情報を発信することも可能です。

 

 

 

補償の仕組み

 

 

 この制度の運営組織は公益財団法人日本医療機能評価機構で、分娩機関の加入手続や保険加入手続、掛金の集金をはじめとして、補償対象の認定や長期の補償金支払手続などほとんどの業務を行います。また、原因分析および再発防止等の制度の運営業務も行います。

 本制度に加入する分娩機関は、自分の分娩機関での妊娠22週以降のお産について家族と補償を契約し、運営組織に取扱った分娩数を申告して、これに応じた掛金を支払います。

 運営組織で補償の対象と認定されると保険会社から保護者へ補償金となる保険金が支払われます。

補償対象と補償内容

補償対象

 

 

 制度ができた2009年1月1日以降に出生した赤ちゃんで、先天性や新生児期などの要因によらない脳性麻痺を認め、身体障害者手帳1・2級相当にあたる場合、基準を満たせば補償対象となります。

 本制度は、2015年1月に補償対象となる脳性麻痺の基準などの見直しが行われ、産まれた年によって、対象となる在胎週数や出生体重の基準が異なります。2022年以降は在胎週数が28週以上で産まれた赤ちゃんが対象になります。補償申請期間は満5歳の誕生日までとなっています。

補償内容

 

 

 補償対象と認定された場合は、総額3,000万円の補償金が支払われます。初年度に看護・介護を行うための基盤整備のための準備一時金として600万円、その後は、看護・介護の費用として、子どもが19歳になるまで毎年1回補償分割金120万円が支払われます

産科医療保障制度の補償申請の流れ

補償認定の請求

 赤ちゃんが脳性麻痺と診断されたら、赤ちゃんの主治医に、①産科医療補償制度の対象となる可能性があるかどうかを確認し、②可能性がある場合には赤ちゃんが産まれた分娩機関に連絡して下さい。

 ③④補償申請に必要な書類一式は家族から連絡があった分娩機関が運営組織から取り寄せ、⑤家族に補償申請書類の一部(補償認定依頼書類)を渡します。

 ⑥家族は診断医に専用診断書の作成を依頼するとともに、⑦それ以外の補償認定依頼書類を記入し、専用診断書とともに分娩機関へ提出します。これを「補償認定依頼」と言い、満5歳の誕生日までに完了する必要があります。

 ⑧分娩機関は、家族から書類を受け取ると、分娩機関が提出する必要書類と一緒に運営組織へ提出します。これを「補償認定請求」と言います。

 書類を受け取った運営組織は30日以内に家族および分娩機関に対し、受理通知書を送付します。

 

 

 

審査・審査結果と審査状況

 赤ちゃんが補償の対象となるかどうかについては、専門家で構成される委員会で審査が行われ、受理通知書の送付日から90日以内に受理結果通知書が家族と分娩機関に送られます審査は一次審査として書類審査が行われた後、審査委員会による二次審査で最終的に判定が行われます。

 審査結果は①補償対象、②補償対象外、③補償対象外(再申請可能)の3つに分けられます。

 補償対象外(再申請可能)は将来、所定の要件を満たせば再申請によって補償対象と認定できる可能性があることを示します。

 補償対象と認定されなかった場合、審査結果の通知書を受け取った日から60日以内に再審査請求(不服申立)を行うことができ、異議審査委員会で改めて審議がされます。不服申立を行えるのは家族のみで、分娩機関による不服申立は認められていません。

 

 2020年12月現在全国の分娩機関3,192施設のほとんどにあたる3,189施設がこの制度に加入しています。審査結果が確定した2009年~2014年の審査件数3,048件のうちは2,195件(72%)の赤ちゃんが補償対象になっています。

 

 

 

 

産科医療保障制度のもたらしたもの

 産科医療補償制度のもととなったのは、過失の有無に関係なく補償金が支払われる無過失補償制度といわれるものです。これまでの医療訴訟では裁判で医療者側が過失を認めない限り補償を受けることができませんでした。家族にとっては常位胎盤早期剝離や臍帯脱出など、予測ができず過失の判定がつきにくい場合でも、この制度であれば、裁判に関係なく速やかに補償が受けられます。

 医療者側にとっては家族との感情的なやり取りや訴訟が減少するというメリットがあります。

 また、医師や弁護士などで構成される第三者機関によって行われた原因分析結果が、分娩機関と両親に開示され、複数事例の原因分析を集めることによって、再発防止のための提言等を行うことができ、産科医療の質の向上が期待されます。

 

 

 

 

 最高裁判所のデータによれば、医療訴訟全体の判決済みの件数は平成18年(2006年)の1,120件をピークに徐々に件数は減っています。産科においては、産科医療保障制度が導入された2009年以降、訴訟件数は大幅に減少し、2018年には47件であったと報告されおり、この制度が早期解決と医療訴訟の減少に役立っていることがうかがえます。

さいごに

 お腹の中で問題なく元気に産まれるはずであった赤ちゃん。誰にでも起こりうるお産に伴うリスクを社会全体で負担するという観点から、無過失保障制度の導入の意義は大きいものがあります。

 

 重度の脳性麻痺の子どもを育てることは、保護者にとって多くの苦難を強いることになります。お産に伴う突発的な出来事は分娩機関への不信感を生みます。補償と同時に行われる原因分析が、「どうして?」というご両親の疑問に答えることができれば、と願っています。

 今後も、保護者の支援や救済範囲の拡充と再発防止に向けて、この制度が実りあるものになることを願っています。

 補償申請期限は子どもの満5歳の誕生日までです。補償対象の子どもが満5歳の誕生日を過ぎたら申請ができなくなります。忘れないでくださいね。

 

今年も猛暑です。熱中症に気をつけてください。

ではまた。 Byばぁばみちこ