【連載ばぁばみちこコラム】第四十三回 胎児から新生児への適応障害-新生児仮死- 広島市民病院 総合周産期母子医療センター 元センター長 林谷 道子

長い時間をかけて頑張ったお産 !お産は、お母さんにとっても赤ちゃんにとっても命がけです。それは、狭い産道を通って新しい世界に出てきた赤ちゃんが初めて肺呼吸を始める劇的な瞬間です。赤ちゃんの産声が聞こえない・・「新生児仮死」は赤ちゃんの将来に影響を及ぼす可能性があります。

赤ちゃんの肺での呼吸はどのように始まるのでしょうか?

 お腹の中では赤ちゃんのガス交換は胎盤で行われていて、胎児の肺は呼吸のために働く必要がありません。赤ちゃんは誕生した瞬間から自力での呼吸が必要で、お腹の中で眠っていた肺に赤ちゃんが胎外で生きていくのに不可欠なガス交換をゆだねることになります。

 胎盤からの血液の流れが止まると、赤ちゃんは産声とともに、肺による初めての呼吸を始めます。胎児の時に肺胞の中に満たされていた肺液は、空気と上手に置き換わる(肺液の吸収)ことによって、肺でのガス交換が順調に進みます。

 また、同時に肺の血管が広がって、肺に血液が流れ込み(肺血管抵抗の低下)、肺胞の周りを取り囲む毛細血管と肺胞との間でガス交換が行われるようになり、胎外生活に適応していきます。

 

 

新生児仮死とは?

 出生時に、赤ちゃんが子宮内から子宮外環境に移る過程で、さまざまな原因によって、呼吸不全(=低酸素)に陥った状態を「新生児仮死」と呼んでいます。新生児仮死は、それに引き続き循環不全と高度の代謝性アシドーシスから全身の臓器に機能障害を引き起こします。

 産まれた時に評価される「アプガースコア」の点数が7~6点以下の場合に「新生児仮死」、特に4~3点以下の場合には「重症仮死」と呼ばれます。

 軽症であれば、後遺症を残しませんが、重症仮死の場合には、治療を行っても亡くなってしまうことや後遺症が残ってしまうことがあります。特に脳は多くの酸素とブドウ糖をエネルギーとしているため、新生児仮死の影響を最も受けやすいと言えます。

 

新生児仮死の判定=アプガースコア(APGARSCORE)とは?

 生まれた直後の赤ちゃんの呼吸、循環、中枢神経系の状態を評価する方法として、「アプガースコア」といわれる5つの観察項目と採点基準があります。

 アプガースコアは、赤ちゃんの元気度を判定するもので、新生児仮死の指標とされています。生後1分後と5分後に判定されますが、重症の仮死の場合には10分後のアプガースコアも評価します。

 アプガースコアは、判定項目である皮膚色(A:Appearance)心拍(P:Pulse)刺激に対する反応(G:Grimace)筋緊張(A:Activity)呼吸(R:Respiration)のそれぞれの頭文字をとっています。各項目2点でトータル10点満点ですが、大半の赤ちゃんは8~9点で出生します。

 

 

新生児仮死で産まれる赤ちゃんはどのくらいの頻度で産まれるのでしょうか?

 出生時に呼吸をするのに手助けを必要とする新生児仮死の赤ちゃんは約10%と言われています。

 広島市民病院NICUで検討したデータでは、新生児仮死の赤ちゃんは毎年一定の頻度で生まれており、経年的な変化はほとんど見られておらず、平成7~17年の退院児1,793人のうち、アプガースコア1分値が0~3点と評価されたのは69人(3.8%)、4~6点と評価されたのは176人(9.8%)でした。

 

 

新生児仮死の原因

 新生児仮死の原因はいくつか考えられますが、約90%は妊娠中や分娩の前に「胎児機能不全」と言われる状態が見られます。

 胎児機能不全とは、お腹の中の赤ちゃんが、「子宮の中で元気な状態であるといい切れない場合」に用いられます。胎児機能不全は、お母さんからの血液の流れが悪くなり、赤ちゃんが酸素不足になることによっておこります。

 妊娠高血圧症候群や糖尿病など胎盤機能低下をおこす可能性のあるお母さんの妊娠合併症や、胎盤や臍帯の異常は、胎児機能不全の原因となります。また、新生児仮死の状態で生まれた赤ちゃんで、先天性の異常が見つかることもあります。

 通常、胎児の状態は分娩監視装置を用いて胎児の心拍数と子宮収縮を記録することにより判断されます。「ほぼ確実に元気」といえる場合と「かなりの確率で非常に具合が悪い」といえる場合は、判断がつきやすいのですが、その両極端の間の状態は判断が難しいことが多く、現実にはすべての新生児仮死児を生まれる前に予知することは不可能であるのが現状です。

 

 

新生児仮死の病態;最も影響を受けるのは脳 !!

 種々の原因から胎児機能不全に陥ると、赤ちゃんの体の中では、「有効心拍出量の再分配」という脳などの大切な臓器にたくさんの血液を集めて守ろうとする現象が起こります。それによって、初期には脳は守られていますが、低酸素が続くと最終的には、脳に流れる血液も減少し低酸素性虚血性脳症を生じ、脳性麻痺などの後遺症につながります。

 低酸素による循環不全と高度の代謝性アシドーシスは、心筋障害、腎不全など全身の臓器に様々な機能障害を引き起こします。

 また、消化管の血流が減少することによって、腸の蠕動運動が亢進し、肛門括約筋が緩むと胎児は、羊水の中に胎便を排出し羊水が胎便で濁ります(羊水混濁)。胎児が胎内で酸素不足によってあえぎ呼吸を繰り返すと、濁った羊水を肺に吸い込み胎便吸引症候群という重症の呼吸障害を引き起こすことがあります。

 

 

新生児低酸素性虚血性脳症はどのようにおこるのでしょうか?

 低酸素や虚血によって脳への血液の流れが途絶えると、酸素とブドウ糖の不足によって脳細胞の壊死による一次性脳障害(いわゆるエネルギー死)が起こります。エネルギー死を起こす脳細胞は、初めは一部で、その周りには、それよりはるかに広い範囲のプヌンプラと呼ばれる、いわゆる死にかけた脳細胞が広がっています。

 仮死から蘇生ができて、血圧が正常になっても、脳の一部の領域では血流が回復していません。仮死が起こって、数時間が過ぎると拡張した脳血管に急速に血液が流れ込み、それによりプヌンプラ領域に二次的な遅発性神経細胞死が引き起こされます。この二次的な遅発性神経細胞死が低酸素性虚血性脳症による脳障害の多くの部分を占めています。

 

 

新生児仮死の予後(死亡、長期入院、脳性麻痺などの後遺症)

 重症新生児仮死で産まれた赤ちゃんは、蘇生によって呼吸や心拍がいったん回復しても、呼吸や循環が維持できずに亡くなってしまうことがあります。

 広島市民病院NICUで検討したデータでは、平成1~25年に亡くなった赤ちゃん316人のうち、出生体重2500g以上の赤ちゃん87人の死亡原因で、新生児仮死は先天性心疾患に次いで2番目に多い要因となっています。

 また、厚生労働科学研究の長期入院児の調査によれば、2003年からの10年間に、1年以上NICUに入院している赤ちゃんの基礎疾患では、新生児仮死は先天異常、極低出生体重児に次いで3番目に多かったと報告されています。

 

 

 

 

 新生児仮死で生まれたことによって最も影響を受けるのは赤ちゃんの脳です。酸素が足りない時間が長くなるほど、赤ちゃんの脳細胞の壊死が進み、後遺症が現れる可能性が高くなります。赤ちゃんの在胎週数(胎内での脳の成熟度)や壊死を起こした部位、範囲によって、知能障害・運動障害など現れる障害は様々です。

 全国107施設から集計された新生児低酸素性虚血性脳症の赤ちゃん400人の生後9カ月以上の時点での予後調査では、死亡が約20%、正常発達が約40%で、残りの約40%で後遺症が見られたと報告されています。

 

 

 

新生児仮死は可及的速やかで適切な呼吸の確立が重要

 出生時に呼吸を始めるのに何らかの手助けが必要な赤ちゃんは約10%で、そのうち1%は積極的な心肺蘇生(気道確保と人工呼吸、胸骨圧迫)が必要であると言われています。

 赤ちゃんの出生の時に最もそばにいる医療スタッフが、確実に仮死の蘇生が行えるように、2007年7月から、日本周産期・新生児医学会が、新生児蘇生法普及事業を開始し、新生児蘇生法アルゴリズム(処置手順)に従った蘇生のトレーニングが行われています。

 仮死蘇生の目的は赤ちゃんの脳を守ることです。赤ちゃんが仮死で産まれると、深いあえぎ呼吸の後に呼吸を止めてしまいます。皮膚刺激などによって呼吸が回復すれば、一次性無呼吸と考えられます。

 呼吸が十分に回復せず、あえぎ呼吸が続くと、次第に心拍数は低下し、赤ちゃんは最終的に呼吸を止めてしまいます。この段階では、もはや呼吸を促すための皮膚刺激は無効で、一刻も早い人工呼吸が必要で、特に心拍数が100/分未満の場合は危険です。

 赤ちゃんが「早産、泣かない、ぐったりしている」のいずれかがあり、皮膚刺激を含めた初期処置行っても呼吸が回復しないか、心拍が100/分未満であれば、出生後60秒以内のなるべく早く段階で確実に有効な人工呼吸を開始することが最も重要です。

 仮死の赤ちゃんにとって、出生後の60秒間は、その後の子の一生を左右すると言っても過言ではありません。

 

 

低酸素性虚血性脳症に対する低体温療法とその効果

 仮死による赤ちゃんの脳への障害を最小限に抑え、後遺症をなるべく少なくすることを目的に行うのが新生児低体温療法で、仮死によって起こる脳への有害事象を抑えることができます。

 欧米で行われた複数の臨床試験で、脳低温療法が在胎36週以上の中等症~重症の仮死の赤ちゃんでの死亡率と生後1歳半での神経学的予後の改善が報告され、2010年以降、新生児低酸素性虚血性脳症に対する標準治療として推奨されています。

 冷却方法は選択的に頭部を冷却する法と全身を冷却する方法があり、専用の冷却装置を用います。

 生後6時間以内に治療を開始し、深部温度を34℃まで冷却し72時間続行した後、少なくとも4時間かけて体温を正常に戻します。

 

 

 広島市民病院NICUでは2006年から新生児低酸素性虚血性脳症の治療として、低体温療法を開始し、2007年から2012年の6年簡に20人の児に治療を行いました。

 重症の2人は治療後も意識、自発呼吸の回復はなく呼吸器を外すことができませんでした。中等症の18人は意識、自発呼吸は回復し、全員呼吸器を外すことはできましたが、そのうち、後遺症を認めなかったのは8人(40%)でした。

 低体温療法は、拡張した脳血管に血液が流れ込む虚血再灌流障害が起こる6時間以内に開始することによって、プヌンプラ領域における二次的な遅発性神経細胞死を軽減する治療法ですが、その効果は絶対的なものではなく、多くの報告で予後良好な赤ちゃんは50%程度にとどまっています。

 

低酸素性虚血性脳症に対する新しい再生医療

 

 低酸素性虚血性脳症によって脳性麻痺が生じると有効な治療法はありません。新生児期に脳性麻痺を未然に防ぐために、大阪市立大学大学院医学研究科の究グループは、「低酸素性虚血性脳症に対する自己臍帯血治療」の臨床試験を開始しています。

 これは、脳障害の回復を目的に、低酸素性虚血性脳症になった赤ちゃんに、赤ちゃん自身の臍帯血から採取した幹細胞を出生後24時間ごとに3日間かけて点滴投与する治療法です。赤ちゃん自身の臍帯血を用いるので拒絶反応を防ぐことも可能となります。

 安全性確認のため、2015年から開始されていた第Ⅰ相試験が2017年10月に終了し、2020年11月より第Ⅱ相試験が開始されており、今後の新しい治療法として期待されています。

 

さいごに

 お腹の中で問題なく元気に産まれるはずであった赤ちゃん。誰にでも起こりうる予期できない突発的な仮死と言う出来事は、心に怒りと圧倒的な絶望を引き起こします。

 起こってしまった新生児低酸素性虚血性脳症からいかにして脳を守り、脳性麻痺に移行させないかという研究も少しずつ進んでいます。辛い思いをするお母さんと赤ちゃんが少なくなりますように。

ではまた。Byばぁばみちこ