【連載 ばぁばみちこコラム】第一回 『こどもが生きるということ』 広島市立市民病院 総合周産期母子医療センター 元センター長 林谷道子先生

   新生児医療が進歩し、小さな赤ちゃんや重い病気を持つ多くのこどもの命が救われてきた。その影で亡くなっていく命や、後遺症のために在宅医療が必要な命は一定数存在する。それは他人事ではなく、自分がその子の親の立場になったかもしれないことである。
 

   こどもは一人では生きていけない。こどもが生きるためには、医療や保健だけでなく、地域や福祉など、こどもと家族を取り巻く「人と環境の質」が保証されることが必要である。特に、在宅医療が必要なこどもを家族のみで育てていくには多くの困難が予想される。
 

   在宅医療は病院で入院生活を余儀なくされたこどもたちが、両親や同胞と自宅で暮せ、両親はこどもへの愛情と成長を実感できるというメリットがある。しかし、現在の小児の在宅医療を支える基盤は非常に脆弱で、家族の献身的な努力によって、こどもたちは命を永らえているといっても過言ではなく、家族は24時間、365日心身ともに休養のない日々が続いている。
 

   日本の新生児医療は「命を救うこと」に力を注いできたが、後遺症が残ったこどもが「生きるということ」への支援を置き去りにしてきたように思う。その中で、最も求められている支援はメディカルショートステイなど、こどもの在宅医療の大半を担っている母親のレスパイトである。母親の安心は母親自身の心の安定だけでなく子どもに対する優しさにつながっていく。母親を孤立させない、母親だけを頑張らせない支援が必要である。
 

   以前読んだ「家族と一緒に暮らす」という体験談の中に次のような文章があった。
「一生懸命もいいけれども、息抜きも必要だということ。自分の家でコーヒーを飲む数分間だけでも、自分ひとりの時間を持ったほうが、また次に向かって頑張れる。病気の子の親だって息抜きが必要。病気の子の親だからこそ、余計にリフレッシュが必要だと思う。誰かの手を借りて手伝ってもらうほうが絶対いい。こどもにとっても自分にとっても。」
 

   こどもとの出会いは一期一会である。こどもが親を選べないように親もこどもを選べることができない。死んでいく親がこどもに残せるものは、「あなたは私たちの宝物であった」というこどもへのメッセージである。
 

   どんな障害があっても、こどもを慈しみ、産んでよかったと思えるような思いを親が持つことができる援助が求められている。
 

   障害を持っているこどもの親が望んでいることは「少しの荷物を一緒に背負って歩いてほしい」という、ごく当たり前のささやかな願いである。